ミステリアスに抗う透明感 -匙ノ咒 / r-906 covered by あられ-

カテゴリ: 楽曲
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 透明感とパワフルな歌声で不穏さを表現するVsinger、あられさんをご存知でしょうか。 

 今回の記事では、r-906さんの「匙ノ咒」をカバーしたあられさんの歌唱を、歌詞と世界観の解釈を交えながら紹介します。

 あられさんのライブ感のある歌い方や力強い低音が好きな方はもちろん、透明感のある高音でミステリアスな雰囲気を醸し出す一面にも注目してみてください。 

 記事はやや長めですが、ミステリー小説の解説を読むような気持ちで楽しんでいただければ幸いです。

 あられさんのメイド姿の「匙ノ咒」カバーと、r-906さんの素敵なオリジナルMVは、ぜひ併せてご視聴ください。

ミステリー小説のような世界観×透明感の不穏さ

 あられさんのCoverは、「匙ノ咒」のミステリアスな世界観を"透明感"によって、より不穏なものに再構築しています。この曲の世界観をざっくりと解説します。

 プロローグでは、登場人物や彼女たちの物語が語られます。

“烏”が住む海辺のお邸で働くメイド"碧"。

新しく入った同僚の”紅”と共に、濡れた井戸の怪談や秘密のお部屋、邸に伝わる”おまじない”など、不思議なできごとに翻弄されつつも、それなりに楽しく暮らしていました。

最近呂律の回らなさや手足の震えなどで粗相が増えていることに悩んでいる”碧”。

そこへお客様のひとりとして迎えていた盲目の少女がやってきてこう告げるのでした。

「ここに居てはいけないわ」

 メインとなる登場人物は"碧"は、メイドとして働きながら邸に長い間暮らしていることが分かります。曲のタイトルに使われている”おまじない”や”烏”、そして盲目の少女が怪しさの中核になっています。碧の身体が何らかの理由で侵されていることも、”おまじない”との関係を仮定せずにはいられません。

 プロローグの後、歌唱が入ってきます。

 「烏がわらって」いたことが「終わりの始まり」と歌うあられさんの歌声は、ファルセットのような透き通った高音でありながら、フレーズの終わりごとにすっと抜ける吐息に、淡々と物語を語る落ち着きが感じられます。

 さらに、「辛くも流れて着いて わたしもわらっていました と思っていました」という歌詞から、このあと並々ならぬことが起きたことを予感させます。ただ、この段階での碧は、邸に漂着した軽い存在として描かれており、何か強い意思があるようには思えません。歌声と同様に、この世界の中で、特別に何か重要なカギを握っているようには表現されていません。

 「グラスをひとつ割ってしまえば」から始まるパートで、この曲で初めてコーラスが入ってきます。グラスを割る粗相への罰のように、ひと匙の”おまじない”が碧に与えられる。そう想像させる歌詞のパートだからこそ、コーラスによって”おまじない”の効果が碧を蝕んでいるような響きをもっています。

 しかし、コーラスに割り入るように「なかったことにしないで」とメインボーカルが歌い始めることで、何かをなかったことにさせる”おまじない”に碧が抗っているように表現されています。

 続く歌詞から、「紅い髪のあなたの手」、「梳かした月の影」、「蕩けていく手脚」を「なかったことにしないで」と碧が思っています。「紅い髪のあなた」は、原曲のMVにちらっと出ている同僚の”紅”だと推測されます。

 特に注目したいのが、「蕩けていく手脚」まで「なかったことにしないで」と拒絶していることです。碧が見たものの記憶から、碧の身体までも「なかったこと」にされてしまうことがほのめかされています。

 この部分から少しずつ歌声が力強くなっていきます。

 館の外から聞こえてくる「霧の笛と啜り泣き 砕ける波」といった音は、孤独な碧を不穏な空気が囲んでいるかのようです。

 それでも、「今日もおやすみよ」まで、落ち着いて語る透き通った歌声で歌われています。

 透明感のある歌声に加わる微妙な強弱によって、碧に何か不吉なものがふりかかりそうな不穏さを表現しています

 直後の「ああ、なんて可愛らしいの」にはハモリが加えられており、本家のくぐもった音とは異なる表現になっています。この違いによって、先ほどのコーラスのように、ハモリにもミステリアスな響きが追加されています。

 このように、通常の語り=歌唱の部分は透明感のある歌声で、後の展開に不吉なことが起きるであろうという不穏さがあります

 さらに、この歌声をベースにすることで、コーラスやハモリは、碧に何か危害を加えるような謎が迫っているというミステリアスな響きとして表現されています。

 ベースとなるメインのボーカルが透明感のある歌声であることによって、この後の歌唱に複雑さを追加できる基盤になっています。この後の物語の展開とあられさんの表現を見ていきましょう。

碧の視点を歌うメインと謎を抱える多数のサブ

 次の場面から、物語が急激に動き出します。

 ここで重要になるのが、メインのボーカルは碧の視点であることと、コーラスなどのサブのボーカルが碧ではない謎めいた不特定多数の声であることです。

 「舌が回らない~嫌だ嫌だ嫌だ」という悪夢のような場面が挟まれて次の場面にすぐに移ります。この場面でメインのボーカルが荒々しい低音になっているのは、後ほど重要になるギャップです。

 邸の留守を預かっている間に、紅が碧をそそのかして秘密の部屋に入ろうとします。ここでの歌声は、最初のような透明感のある高音に戻ります。しかし、最初の歌声よりも声に芯があり、緊張感が伝わってきます。

 特に「ひやりと重たい扉」の「ひやり」の歌い方は、原曲よりもかなり強調されたものとなっており、単に冷たいだけでなく恐怖心まで伝わってきます。

 続く「あなたが唆すから」というメインのボーカルは、高音の透明感に加えて力強さを感じるような歌声になっています。

 「みんなが見下ろしていた」とパワフルに歌う箇所からは、”みんな”という本来いないはずの謎の存在たちを見てしまったことへの恐怖心がひしひしと伝わってきます。

 ここの”みんな”とは、MVを見る限り、秘密の部屋に閉じ込められていた、かつて邸で働いていたメイドのようです。彼女たちは、碧に忘れられていたのではなく、なかったことにされた存在のように描かれています。”おまじない”を取り入れたものは存在をなかったことにされ、なかったことになった者たちが邸の謎を底知れないものに作り上げています。

 さらに、メインのロングトーンに、「ナカッタコトニナッタコトモ ナカッタコトニナッテシマウ」とバックのコーラスが重なってきます。最初に碧が”おまじない”によって、なかったことにされることを拒絶している場面がありました。ここのコーラスによって、なかったことすらなかったことになるという残酷な運命が、碧を待ち受けていることが表現されています。

 加えて、バックのボーカルによる優しい歌声で「ここに居てはいけないわ」という盲目の少女の忠告が続きます。コーラスやサブのボーカルの重なりによって、ミステリアスな響きの意味が明らかになっていく場面でもあるのですが、ここにドラムの緊迫感のある演奏が加わることで、これまでの謎めいた予感が核心に迫っているように感じられます。

 ここからコーラスやサブのボーカルのパートが、碧の視点を歌うメインのボーカルと対になっているといえます。メインのボーカルは碧の視点だけを歌う単数であるのに対し、コーラスやサブのボーカルは碧の周りを囲む謎の複数性を表現しています

 歌声のパートごとの意味が対称的にはっきりと別れていることで、反復するコーラスを突き破るような「なかったことにしないで」のパワフルな歌声と強めのエコーが、コーラスやハモリとは異なり、碧のより強い心の叫びとなっています。

 これ以降、メインのボーカルは非常に力強い歌声になっており、碧の心の動揺が表現されています。つまり、最初の落ち着いた透明感のある歌声から徐々にパワフルな歌声へ力強さが高まっていくことで、”おまじない”を中心とした邸のできごとに翻弄される碧の心の振れ幅が表現されているのです。

 その”おまじない”も「溢れんばかり」の量になっており、最初に比べると限界ギリギリまで増えています。「痺れていく手脚」に「どうか気付かないで」という碧のすがるような思いは、すでになかったことにされることを拒むだけではなくなっています。

 なかったことになったことすらなかったことになり、喪失や忘却の痕跡すらも消去する恐怖が、碧に迫っていることを示しています

 場面が戻りますが、ひと匙の“おまじない”を口にした碧が、その後に話しかけてくる誰かの接近を嫌がっている場面がありました。今回の場面では、その誰かに「どうか起きて来ないで」と「ぎゅっと耳を塞いで」逃れようとします。「どうか起きて来ないで」と歌う歌声は、怯えるように張り詰めています。直後の「ぎゅっと耳を塞いで」の部分も、話しかけてくるような”誰か”の声をかき消すように表現されており、この邸の謎に関わる何者かの接近をうかがわせます。

 「どうか起きて来ないで」の後の合いの手はイヤホンだと両側から聞こえてくるため、華やかな歌声にもかかわらず、”誰か”の声というホラーとしても機能しています。

 ここまでのメインボーカルの力強さによって、「よかった起きて来ないね」と優しく落ち着いて歌っているところから安心感が伝わってきます。代わりに、海辺に住んでいた”烏”が死に、「あなたが居たはずなのに」いなくなっています。碧が一人だけぽっかりと残された孤立感と安心感がないまぜになっている感情までも表現されているようです。ただここで、碧は、いなくなった誰かがなかったことにはなっていない、つまりまだ完全に消え去っていないことに気づいたと考えられます。

 とはいえ、誰が「起きて来ない」のか、そして「痺れる手が答を指で差」す場面での「答」が何かはその後の内容からもはっきりしません。それでも、この物語の核心、邸の”おまじない”の不思議に関わる「答」であることは間違いありません。歌声もこの曲のクライマックスを象徴するかのように、身体を侵されている碧の狂気を感じさせるものとなっていると考えると、歌詞と歌声の関係が一層クリアになります。

 あくまでも予想ですが、「ひと匙のおまじないを なかったことにしないで!」という歌詞がポイントだと考えています。

 最初は「なかったことにしないで」ほしいと願うものは倒置法で表現されていました。次の場面では、「痺れていく手脚」に気付かないでほしいのか、あるいはそれを「なかったことにしないで」ほしいのかが曖昧になっています。倒置法にすることで、忘却や消去そのものを拒んでいるように受け取れます。しかし、最後だけはそのままの順序になっており、「ひと匙のおまじないを」なかったことにしないでと願っています。「ひと匙のおまじない」が消えてしまうことを止めようとしているわけです。

 ここで邸に深く関わる”烏”に話を移します。この”烏”とは、邸の”おまじない”の謎に直接関与する人物であり、碧へ罰のように”おまじない”を与えていたと考えられます。”おまじない”以外で登場人物のように””がつけられているのは”烏”であり、通常カラスは黒いため、灯りのない夜中の建物では視認しにくいはずです。

 最後の場面に話を戻します。ここで紅が碧の前から姿を消していることから、碧は「今逢いにゆくわ」といって「ひと匙のおまじない」を手にしている彼女の元へ向かったと推測されます。”烏”を殺害したと思われる紅が、自らもなかったことにしようと”おまじない”を口にするのを止めようと行動しようとしているのです。

 代わりに碧が最後のその”おまじない”を口にすることで、溢れそうになっていた許容量を超え、碧も2階の秘密の部屋にいた者たちのようになろうとしていると考えました。

 しかし、「いつもの様にあなたがわたしを起こす」「ああ、なんて可愛らしいの」という言葉から、碧はまだ生きているように描かれています。そのため、すんでのところで”おまじない”が許容量を超えず、死に至ることがなかった可能性を示唆する歌詞とも読めます。

 実際、あられさんは「ああ、なんて可愛らしいの」を、原曲とは異なり、碧の視点の歌い方にしています。そのため、このセリフは碧から紅に向けられたものであり、2人とも生きている結末だと考えました。

メインとサブが織り成す奥行きと魅力

 あられさんのカバーで最も力が入っていると感じられるのは、2:40の「なかったことにしないで」から続く、謎の存在が迫る緊張感溢れる場面です。この場面は初見の方にもぜひ注目してほしいポイントです。

 物語と曲のクライマックスへ向かう重要な場面なのですが、ここでのメインのボーカルとサブやコーラスの掛け合いが非常に魅力的です。

 2:05の「鍵はいらないの」から続く2階の秘密の部屋に入っていき、邸の謎の核心に触れる場面に取り入れられているバックのコーラスやサブのボーカルが、碧の周りを囲む謎の複数性を表現していることはすでに述べました。この複数性をより深く見ていきましょう。

 あられさんのカバーは、r-906さんの曲に特徴的なリフレインやエコーを忠実に表現しています。

 原曲の「みんなが見下ろしていた」から始まる「ナカッタコトニナッタコトモ ナカッタコトニナッテシマウ」のコーラスはメインのボーカルよりも少し控えめです。「ここに居てはいけないわ」という盲目の少女の言葉に比べてもあまり主張しません。

 一方、あられさんの同じ場面では、メインのボーカルに同じ強度でコーラスがかぶさっています。「ここに居てはいけないわ」もコーラスに溶けていくように歌われています。このリフレインのコーラスによって、碧を囲む邸の謎がより大きく得体のしれない存在となっており、盲目の少女の言葉も謎の強大さの中に折りたたまれているように表現されています。

 不特定な謎の広がりが、この曲の世界観に奥行きを押し広げています。この奥行きによって、メインのボーカルに目を向けると、2:40からクライマックスまでの碧の孤立感とひたむきさがより際立っています。

 こうした連続した表現のつながりを踏まえると、3:13からの歌声からは、孤独な碧が邸の謎の「答」に気づいた狂気的な衝撃が伝わってきます。「ひと匙のおまじないを」「なかったことにしないで!」と叫ぶ歌声に芯はあっても力にふらつきがあり、むしろ透明感をもっているのは、この段階で碧がままならないほど身体を侵されていることを表現しています。

 碧の心の叫びと同じくらい前面に出てきたコーラスは、邸の謎が依然力をもって碧をとり囲んで飲み込もうとしているように感じます。しかし、メインのボーカルを乗り越えるほどの強度ではなく、碧の意思は飲み込まれていません。碧がぽっかりと浮かんだまま謎と対立している構図を保っています。

 MVでは碧が匙から落下していくのですが、ここで流れているコーラスのリフレイン=謎の力を、メインボーカルの碧が力無くも意思を持って通り抜けていくという構図と、歌声の構図は呼応しています

 このようなメインとサブのコーラスの掛け合いは、孤独な碧が邸の謎に力なくとも立ち向かおうとする姿を、より魅力的かつ重層的に表現しています。碧は、身体的な力ではなく意思の力で立ち向かい、ぶつかるのではなく軽やかにすり抜けていきます

 最初、物語るような透明感をもった歌声は、碧の心情と共鳴するように徐々に強くなり、最後の「ああ、なんて可愛らしいの」に向かって弱まっていきます。 物語が進むにつれて碧は身体が蝕まれていきますが、肉体的な力を超える意思、つまり碧の根幹である透明感が謎を突破する鍵になっているのです。

 透明な意思の力でミステリアスな存在を突破するという歌声と物語の世界観の一致は、あられさんのカバーだからこその魅力だといえます。

おわりに:あられさんの魅力をもっと楽しむために

 今回の記事では、あられさんの「匙ノ咒」の歌ってみたについて紹介しました。原曲リスペクトを感じるメインボーカルとサブやコーラスのパートごとの歌い方に、あられさん独自のオリジナリティが加わることで、不穏さと感情の揺れが歌唱ではっきりと表現されています。

 しかも、あられさんの歌い方や歌声の表現が、「匙ノ咒」というミステリアスな世界観のイメージにぴったりはまっており、何度も聴きたくなるような深みのある魅力となっています。

「匙ノ咒」は、物語として楽しんでも、音のレイヤーを聴き分けても味わい深い一曲です。あられさんの透明感とパワフルさを行き来する歌声が、この不穏でミステリアスな世界をどう染め上げているのか、ぜひイヤホンでじっくり味わってみてください。

 あられさんのYouTubeチャンネルには、「匙ノ咒」のアカペラShort動画や、他の歌ってみた・Shortも多数公開されています。

 また、ツイキャスやYouTubeで23時から歌枠も行っているので、夜に作業する方はリアタイ参加もおすすめです。歌枠のアーカイブはYouTubeから視聴できます。

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