曲が終わっても歌詞の意味を考え続け、気づけばもう一度再生したくなる。鈍色聴さんの歌には、そんな余韻があります。
そんな歌を届ける鈍色聴さんは2026年7月に活動開始3周年を迎えました。この3年間で、歌ってみたからオリジナル曲まで、自分だけの表現を少しずつ育ててきました。
同人音楽の即売会「M3」や、歌い手・ボカロP同士のコラボイベント「VocaDuo」の場でオリジナル曲を数々発表するなど、精力的に音楽活動を続けているVtuberです。
その魅力を支えているのが透明感のある高音の中に、底知れない深みを覗かせる表現力です。
神聖な雰囲気をまとった歌声で、自ら綴った歌詞に想いを乗せて丁寧に歌い上げます。しかも、その歌詞は聴き手の中に曲の世界観を立ち上げるように解釈を誘う豊かさと謎を湛えています。
鈍色聴さんの魅力は、歌声だけでは完結しません。
カバー曲の歌詞を深く読み解き、自ら綴った歌詞にも豊かな物語を込め、その世界を歌声によってさらに広げていく。その歌声と歌詞の相乗効果によって、曲を聴き終えた後にも物語の続きを考えたくなるような印象を残します。
今回は、鈍色聴さんの魅力が溢れている曲を3曲紹介します。
自身が手がけたオリジナル曲と、歌ってみたとして投稿されたカバー曲を取り上げますので、彼女が操る音と歌と言葉の世界を、ぜひお楽しみください。
変われない少女の聖なる無垢:カレンの清掃 / 香椎モイミ 歌ってみた
最初に紹介するのは、香椎モイミさんが手がける「カレンの清掃」です。
華やかさと重厚感のあるピアノの音色が美しいこの曲は、屋敷を清掃する少女の心情を中心とした物語を歌詞で描きます。
原曲のボーカロイドの歌声は息継ぎまでも調教されており、ピアノが止まる箇所にブレス(息継ぎ)が置かれています。聴さんも原曲のように息継ぎを強調しており、原曲へのリスペクトが感じられます。
原曲へのリスペクトが感じられるのは歌い方だけではありません。
歌詞が紡ぐ未熟な少女の複雑な心情を歌声によって描き出している点に、鈍色聴さんの原曲への深い解釈があるように聴こえてきます。
まず耳に残るのは、透明なのにどこか悲しさを帯びた歌声です。
2:37からは、自身の醜く汚い一面も愛せるようになることこそが成長だ、という言葉が語るように歌われます。その声からは、少女に教え諭す優しさが伝わってきます。
しかし、この優しさは少女にとって見当違いであり、拒否反応を起こすようなものです。
無垢な少女性を傷つける優しさに対して、2:57では「できない」と吐き捨てます。
この拒否反応こそこの曲のクライマックスであり、鈍色聴さんの「できない」と歌う歌声には自責と無力感が滲んでいます。
その後のロングトーンには、堰を切って溢れ出す悲しみが込められており、その歌声に重なる透明感のあるコーラスは、汚れを受け入れない悲しみを綺麗に、聖なるものとして表現するように響いています。
その直後に「何度も何度も」鏡を擦っても自身の姿が悪魔に見えると歌うところでは、そう見えてしまう現実と自分自身を否定しようとする力強さがありありと表現されています。
自らの中にある醜さや汚れを払拭しようとしてもどうにもならない現実を否定したい、そうした心情を捉えた表現であるといえます。
そこから一転し、3:19からの「今日は何て良い天気 清々しい清掃日和」と歌うところでは、どこか力が抜けて憑き物が落ちたような歌声となっています。最後の「死ぬまでね」で一気に影を落とし、少女が変わらないことを選んだと分かる表現になっています。
気づけばもう一度最初から聴き返したくなる。
それほどまでに、歌詞の解釈まで想像させるような表現力が際立っています。
単に物語調の曲を語るように歌うだけではなく、そこに登場する者たちの入り組んだ感情を捉え、原曲がもつ世界観に、新たな見え方を加えていく。
歌詞を深く読み解いたかのような歌声によって、聴き手にも新たな解釈を促す。そこに、鈍色聴さんならではのオリジナリティがあります。
何者にもなれない苦痛と向き合う:海月の骨
次に紹介するのは、2025年6月に公開された2ndシングルのオリジナル曲「海月の骨」です。
この曲で最も印象的なのは、「僕」という人物の心の変化を歌声だけで描き切っていることです。
「海月の骨」とは、『枕草子』にある会話が由来の「存在しないもの」という意味の言葉ですが、この「形のなさ」を、鈍色聴さんは歌声によって見事に表現しています。
イントロから流れる音には海の中を漂っているような臨場感のある音と浮遊感があります。
AM 2:00。海辺の家にいる「僕」。歌詞からは潮風やさざなみまで感じられます。
「僕」の鬱屈とした暗い顔すら見えてきそうな歌声と合わさって、形のない不安定なアイデンティティを抱えた「僕」という存在が立ち上がってきます。
「あの日笑っていた僕よ そのままでいてくれ」と無邪気な過去の自分を思い出しながら0:40からサビに入ります。爽やかなメロディとともに「ひらり泳ぐクラゲはきっと 僕らよりも自由なようで」と歌う声には、クラゲの姿に憧憬のような感情が滲んでいます。
続く「されど揺らぐ心はずっと 彷徨うジェリーフィッシュ」の部分は、コーラスによって歌声に厚みと華やかさがありつつも、「自由だからこそ揺らぐ心」のシリアスな重みも感じさせます。「今宵もまた 透明な僕のまま」と徐々に弱まっていく歌声は、現状を打破できない弱々しい「僕」という人物の輪郭を浮き彫りにし、歌詞に描かれる人物像を生の人間として表現しています。
一方で、1:31からの「ふらっと今夜消えたくなった 海底のような街を歩く」と歌う声には悲痛な叫びのような力強さがあり、絶妙なニュアンスで感情の起伏を聴き手に届けています。
2:03からの「ゆらり揺れる不確かな僕がいる」と、伸びやかにたっぷりと歌う歌声には、自分自身の在り方を見つめ直すような心の中の動き、その変化にかかる時間までも表現されています。
この表現があるからこそ、2:22からの「どんな魚だって鰓呼吸で どこでも生きられるわけじゃない 僕もそうさ 肺呼吸で 幾星霜吸って吐いて歌って」と、「僕」の現在地が定まる場面では、歌声にも芯のある力強さが生まれます。その変化によって、「僕」がようやく自分の在り方を受け入れたことが伝わってきます。
3:01からのラストのサビを歌う声には不安感や弱々しさはなく、軸が通ったしなやかさがあります。最後を盛り上げるように歌うだけでなく、最後の「歩いていく 透明な僕のまま」と「僕」が透明であること、形がなくとも自信をもって歩いていける確信をもっていることが聴き手に伝わる、そのような歌声になっています。
歌声の華やかさや透明感だけでなく、歌詞に描かれる人物の目線や心情を再現するような繊細な表現力こそ、鈍色聴さんの大きな魅力の一つです。
歌詞に描かれているのは、「僕」が形のない不確かな自己の在り方を、クラゲとの対話を通して自由の裏返しとして捉え直すという再生の物語です。
「くらげは見えぬ背骨をしまっている」と鈍色聴さんが優しく歌う時、そこには意志や心などの「見えないもの」も自分を形作るものとして受け入れていくような肯定が感じられます。
神話を描く、詩を歌う:双つの余光 / 10i◇[toy box]
「海月の骨」が「ひとり」の輪郭を巡る物語だったとすれば、最後に紹介する「双つの余光」で描かれるのは、「ふたり」の間に横たわる、決して埋まらない断絶の物語です。
この曲はVocaDuo2026参加曲として発表された最新のオリジナル曲です。
蓮の花と地下茎(根)をモチーフとした登場人物同士の複雑な心情を描く散文詩のような歌詞を、鈍色聴さん本人が手がけています。
歌声はまるで神話を語りかけるように優しく、しかしどこか影を落としているダークなニュアンスを含んでいます。このニュアンスによって、登場人物たちの互いに抱える羨望と悲哀が繊細に表現され、透明感のある優しい歌声が描き出す神話のような世界観に豊かさをもたらしています。
説明の都合上、MVに登場する左側のキャラクターを蓮の「花」、右側を「根」と表記します。
曲の世界観は、サビの「同じ夜に生まれて 別の朝を生きる」という二人の境遇の差が軸となっています。
最初のサビまでの前半部分は「根」の視点から描かれており、0:16からの「祈りをも 腐らせる 底の見えぬ闇」の中で目を閉ざした「根」がクローズアップされます。闇の中で「罰を引き受ける」姿は、まるで生まれながらに背負った罪を償おうとするようにも受け取れます。 1:14から「花」がクローズアップされることで、「この手がもし 色めく頬に触れたのなら」という望みは、「根」にとって遠いものとして表現されています。
間奏を挟み、1:37からの「ひとひかり 照らし出す」から最後までの後半部分では、「花」に視点が移ります。1:54からの「暗い夜にひとり染まる 歪な慈心など 要らないから ただ瞳の色を染めて」という歌詞では、「花」がただ一人で夜の闇に染まる「歪な慈心」、つまり「根」とともに「痛み」を伴うことをしない空虚な慈しみを拒む心情が描かれています。
ここで「花」が「瞳の色」を染めようとする姿からは、「根」を見据えようとする覚悟が感じられます。ただの無垢な存在から抜け出そうとする覚悟は、2:52からの「たとえ黒に染まろうとも その夜に触れたい」という言葉で確固たる意志として描かれます。
この曲は最後、「花」が暗闇を掠め、「根」に近づこうとするところで幕を閉じます。
水面を境として、「触れたい」という気持ちで互いに近づいていく二人。しかし、水面を一枚隔てている二人の距離は最後まで埋まりません。互いに近づこうとしながらも、決して同じ場所には立てない。その隔たりが、この曲の神話的で切ない世界観により印象的な影を落としています。
歌詞に込められた魅力が、歌声によってさらに引き出されていく。そう感じさせる鈍色聴さんの表現によって、繊細な感情が織りなす深みのある世界が立ち上がっていきます。
暗さを描きながらも、その中に小さな希望を残す。そんな世界の描き方にも、鈍色聴さんらしい表現の強さが感じられます。
また、単純な物語のような歌詞ではなく、詩的な表現も散りばめられています。聴き終えた後に、ふと歌詞を目で追いたくなるような印象をもたせる言葉選びも、鈍色聴さんの表現力の一つです。
言葉と音から独自の世界を立ち上げる創造力
鈍色聴さんの歌声からは、歌詞が描き、紡ぐ世界観に、表現によってさらに奥行きを持たせているようにも感じ取れます。
歌詞によって広がる世界に、聖性を帯びた歌声がさらに感情の奥行きを与える。こうした底知れぬ深みに誘うように言葉を丁寧に扱う歌い方によって、聴き手の中に、一人ひとり異なる情景や感情を静かに立ち上げていきます。
濃密で豊かな言葉と歌声で彩られた世界を届ける。聴く者に、音楽を聴く楽しさと、聴き終えた後にも残る余韻を与えることこそ、鈍色聴さんの魅力だと言えます。
今回取り上げられませんでしたが、鈍色聴さんは他にも魅力的なカバー曲やオリジナル曲を多数投稿しています。
2024年のVocaDuoで投稿された、同じく10i◇[toy box]の「カーテン・コール」は映画のようでありながらカバーすること自体の意味を問いかけてきます。
鈍色聴さんプロデュースの1st Album「あえかなる唱導」に収録された「Empty Vessel」は、鈍色聴さんの神聖さすら感じる歌声の魅力がたっぷり詰まった一曲です。
また、カバー曲の選曲が秀逸で、最近投稿された水槽さんの「空室」は、ダウナー×ハスキーという異色のカッコよさが耳に心地よいカバー曲となっています。
歌詞を読むことと、歌声を聴くことは同じではありません。鈍色聴さんは、その二つを重ね合わせることで、一つの物語を聴き手の中に立ち上げます。
だからこそ、一度聴いただけでは終わらず、何度でも歌詞を読み返し、歌声に耳を澄ませたくなる。3周年を迎えた今、その表現はさらに深みを増しています。歌詞と歌声が織りなす世界を、ぜひ一度体験してみてください。
YouTube: https://youtube.com/@yurushi_nibiiro?si=QBjzZdl3wFR1WnkR
X: https://x.com/yurushi_nibiiro?s=21&t=2_6DXv6VSr3ie6tS1lQYVw
